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学べる!ふるさと唐津学!

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曳山展示場(ひきやまてんじじょう)関係
曳山(ひきやま)が町廻(まちまわ)りする、唐津神社(からつじんじゃ)の祭(まつ)りを「唐津(からつ)くんち」と呼(よ)ぶのはなぜですか。どういう意味(いみ)がありますか。
唐津神社(からつじんじゃ)の秋季例大祭(しゅうきれいたいさい)(秋祭(あきまつ)り)を「くんち」と呼(よ)びます。「くんち」のいわれには、いろいろな説(せつ)があり定(さだ)まってはいません。九日(ここのか)、十九日(じゅうくにち)、二十九日(にじゅうくにち)をそれぞれお祝(いわ)いの日(ひ)とすることからとか。供物(くもつ)をささげる日(ひ)だから、「供日」の「くにち」が「くんち」になったとか言(い)われます。
曳山展示場内部
曳山展示場内部
(ひきやまてんじじょうないぶ)
曳山(ひきやま)はいつ頃(ごろ)できたのですか。そして、どうして作(つく)られたのですか。山笠(やまがさ)と呼(よ)ぶ人(ひと)もいますがなぜですか。
現在(げんざい)に残(のこ)る、14台(だい)の曳山(ひきやま)ができたのは、江戸時代(えどじだい)の文政(ぶんせい)2年(ねん)(1819)年(ねん)から明治(めいじ)9年(ねん)(1876)までの間(あいだ)のことです。その前(まえ)に、担(かつ)ぎ山(やま)の時代(じだい)や本町(ほんまち)の左大臣右大臣(さだいじんうだいじん)、木綿町(きわたまち)の仁王像(におうぞう)、江川町(えがわまち)の赤鳥居等(あかとりいなど)の記録(きろく)が残(のこ)されていて、何(なん)らかの古(ふる)いものがあったと考(かんが)えられます。
曳山(ひきやま)は、町廻(まちまわ)りする神輿(みこし)(ご神体(しんたい))に、供奉(ぐぶ)するものとして作(つく)られたものです。そこで、 神輿(みこし)が町(まち)まわりを行(おこな)ったり、お旅所(たびしょ)に巡行(じゅんこう)される際(さい)に、前後(ぜんご)を守(まも)っていくことになったのです。
曳山(ひきやま)は、山笠(やまがさ)とも呼(よ)ばれていました。それは、台車(だいしゃ)に柱(はしら)(栓木:せんぎと呼びます)を建(た)てて、その上(うえ)に傘(かさ)のように本体(ほんたい)の部分(ぶぶん)を乗(の)せることから呼(よ)ばれたと言(い)われます。また、中世(ちゅうせい)にあった傘鉾(かさぼこ)の名前(なまえ)が残(のこ)ったからとも言(い)われます。
曳山(ひきやま)には、獅子(しし)、兜(かぶと)など、さまざまなものがありますが、どんな意味(いみ)で選(えら)ばれたのですか。
唐津神社(からつじんじゃ)の氏子(うじこ)の町(まち)は、それぞれの思(おも)いを込(こ)めて、曳山(ひきやま)を作り、奉納(ほうのう)してきました。神輿(みこし)を供奉(ぐぶ)することから、先(ま)ずは、神輿(みこし)の道筋(みちすじ)を清(きよ)める役割(やくわり)として、獅子(しし)が選(えら)ばれ、「赤獅子(あかじし)」、「青獅子(あおじし)」、のちに、「金獅子(きんじし)」や「珠取獅子(たまとりじし)」を含(ふく)め、5台(だい)が製作(せいさく)されましたが、黒獅子(くろじし)は残(のこ)っていません。
一番曳山 赤獅子
一番曳山 赤獅子
(いちばんやま あかじし)
次(つぎ)に、海(うみ)の神様(かみさま)の使(つか)いとしての「亀(かめ)」「鯛(たい)」がつくられ、神輿(みこし)を守(まも)る武者姿(むしゃすがた)として「源義経(みなもとのよしつね)」「武田信玄(たけだしんげん)」「上杉謙信(うえすぎけんしん)」「源頼光(みなもとのらいこう)」などの兜山(かぶとやま)が作(つく)られます。また、「飛龍(ひりゅう)」、「鯱(しゃち)」等(など)の想像上(そうぞうじょう)の動物(どうぶつ)や「鳳凰丸(ほうおうまる)」、「七宝丸(しちほうまる)」といった船形(ふながた)と呼(よ)ばれるものも作られています。それぞれが、意味(いみ)のあるものとして、選(えら)ばれています。
曳山(ひきやま)は、紙(かみ)と漆(うるし)で作(つく)られていると、聞(き)きましたが本当(ほんとう)ですか。

曳山(ひきやま)は、本体部分(ほんたいぶぶん)と台車(だいしゃ)の部分(ぶぶん)とで出来(でき)ています。台車(だいしゃ)には、四(よっ)つの車(くるま)がつけられていますが、そのものは固定(こてい)されていて、曲(ま)がるときには、梶棒(かじぼう)をてこにして回転(かいてん)させています。本体(ほんたい)は、粘土(ねんど)形(かたち)を作(つく)り、その上(うえ)に和紙(わし)を糊(のり)で何枚(なんまい)も重(かさ)ねて貼(は)り、形(かたち)をつくって、粘土(ねんど)をかきとり、内側(うちがわ)に竹(たけ)や木(き)で枠(わく)をつくります。和紙(わし)は百枚以上(ひゃくまいいじょう)も重(かさ)ねられています。糊(のり)も「蕨(わらび)のり」といった特別(とくべつ)に作(つく)られたものです。その上(うえ)から、漆(うるし)を塗(ぬ)り重(かさ)ねて堅(かた)めその上(うえ)に麻布(あさぬの)を漆(うるし)で貼(は)り、最後(さいご)に金箔(きんぱく)などを張(は)って仕上(しあ)げています。勢(いきお)い良(よ)く、引(ひ)き回(まわ)すために、台車(だいしゃ)は欅(けやき)などの重(おも)い材質(ざいしつ)のものが選(えら)ばれ、本体(ほんたい)も大(おお)きさの割(わり)には軽(かる)い紙(かみ)に漆(うるし)を塗(ぬ)ったものが使(つか)われたのではないかと考(かんが)えられています。

曳山(ひきやま)には、お囃子(はやし)がありますが、どんな楽器(がっき)で、どのような曲(きょく)があるのですか。
唐津(からつ)くんち行事(ぎょうじ)のなかの曳山(ひきやま)では、お囃子(はやし)の楽器(がっき)は、笛(ふえ)、太鼓(たいこ)、締太鼓(しめだいこ)、鐘(かね)で構成(こうせい)されています。周辺地域(しゅうへんちいき)の祭(まつ)りに使(つか)われる楽器(がっき)をみると、笛(ふえ)、鉦(しょう)、太鼓(たいこ)、鼓(つづみ)、長鼓(ながつづみ)で、中世以来(ちゅうせいいらい)の伝統的(でんとうてき)な楽器(がっき)であることがわかります。このうち、唐津(からつ)では、鼓(つづみ)が無くなり、鉦(しょう)も鐘(かね) に変えられ、演奏者(えんそうしゃ)も台車(だいしゃ)に乗(の)れるように、太鼓(たいこ)と締太鼓(しめだいこ)は1人(ひとり)が受(う)け持(も)っています。また、なによりも、笛(ふえ)が竹紙笛(たけかみぶえ)になっています。
これは、今(いま)の演目(えんもく)が、神幸祭(しんこうさい)に刀町(かたなまち)が参道(さんどう)を通(とお)る際(さい)に奏(かな)でる「ミチバヤシ」、ヤマが止(と)まっているときに演奏(えんそう)する「タテヤマバヤシ」、勢(いきお)い良(よ)く曳(ひ)くときに演奏(えんそう)する「セリバヤシ」、などになったことと関係(かんけい)があるようです。お囃子(はやし)の楽器(がっき)を見(み)ても、祭(まつ)りが、都市(とし)(城下町(じょうかまち))のまつりとして変化(へんか)した様子(ようす)がみてとれます。