この地方の古い名前は、末盧国というのですが、これは、中国の魏の国があった頃に、呼ばれていたと考えられるものです。奈良時代になると松浦という地名が、この地方の呼称として現れます。以後、この松浦は、この地域の広い地域名として使われます。
唐津(からつ)という地名は、文献では、大宰府の安楽寺の草創日記に出てくる「辛津」が最も古いもので、永保三年(1083)です。でも、唐津と書いたものは、もっと後で、有浦文書の1368年、や大聖院の仏像の胎名に書かれた1371年で、十四世紀後半の室町時代にならないとありません。
これが、広域の唐津という意味でつかわれるのは、やはり、江戸時代になって、肥前唐津藩となってからのようです。それまでは、唐津村という小さな地域の名前だったようですよ。