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学べる!ふるさと唐津学!

末盧館関係 古代の森関係 唐津城関係
旧高取邸関係 歴史民俗資料館 曳山展示場
古代(こだい)森関係(もりかんけい)
古代(こだい)森会館(もりかいかん)のある(かがみ)には鏡山(かがみやま)がありますが、(やま)(かたち)がおもしろいのですね。どうしてこんな(かたち)になったのですか。
鏡山(かがみやま)は、台形(だいけい)(かたち)をしていて、どこから()ても(おな)(かたち)()える(やま)です。これは、火山(かざん)噴出(ふんしゅつ)によって()まれたもので、噴出(ふんしゅつ)した溶岩(ようがん)(かた)まってできたものです。鏡山(かがみやま)周辺(しゅうへん)は、(ふる)時代(じだい)花崗岩(かこうがん)噴出(ふんしゅつ)して風化(ふうか)した(やま)でできていて、そのあとに玄武岩(げんぶがん)(あら)たに噴出(ふんしゅつ)していまの(かたち)になったものです。
鏡山
鏡山

鏡山(かがみやま)は、領巾振山(ひれふりやま)(ひれふりやま)と()ばれているようですが、なぜですか。
この地方(ちほう)(ふる)伝説(でんせつ)歴史(れきし)()いた、風土記(ふどき)()ばれる八世紀(はちせいき)書物(しょもつ)には、(のち)に「松浦作用姫(まつうらさよひめ)伝説(でんせつ)といわれるようになる(はなし)があります。朝鮮半島(ちょうせんはんとう)(わた)っていく青年武将(せいねんぶしょう)大伴狭手彦(おおとものさでひこ)地元(じもと)(むすめ)との恋物語(こいものがたり)です。船出(ふなで)する狭手彦(さでひこ)見送(みおく)って(むすめ)(やま)(うえ)領巾(ひれ)(ひれ)を()ったことから、領巾振山(ひれふりやま)()ばれるようになったといいます。万葉集(まんようしゅう)には、このことを(うた)った(うた)がたくさんあります。
鏡神社(かがみじんじゃ)は、どんな神様(かみさま)(まつ)ってあるのですか。
鏡神社(かがみじんじゃ)は、二柱(ふたはしら)神様(かみさま)(まつ)ってあります。(いち)(みや)には、息長足姫(おきながたらしひめ)(おきながたらしひめ)、つまり、神功皇后(じんぐうこうごう)(まつ)られ、()(みや)には、840年にこの地方(ちほう)で、反乱(はんらん)()こして、()たれた藤原広嗣(ふじわらのひろつぐ)祭神(さいじん)となっています。しかし、鏡神社(かがみじんじゃ)は、万葉集(まんようしゅう)()まれた「松浦作用姫(まつうらさよひめ)」の伝説(でんせつ)下敷(したじき)になって、(こい)神様(かみさま)として「源氏物語(げんじものがたり)」にもでてくるのですよ。
古代(こだい)(もり)周辺(しゅうへん)には、古墳(こふん)がたくさんあると()きましたが、どんな遺跡(いせき)があるのですか。

(いま)から五千年(ごせんねん)くらい(まえ)の、縄文時代(じょうもんじだい)中頃(なかごろ)には、唐津湾(からつわん)(いま)平野(へいや)奥深(おくふか)侵入(しんにゅう)していて、以来(いらい)(うみ)沖合(おきあい)後退(こうたい)し、大量(たいりょう)(すな)河川(かせん)によって(なが)れて、(いま)砂丘(さきゅう)ができあがります。五世紀(ごせいき)から六世紀(ろくせいき)にかけて、海岸線(かいがんせん)であった、この鏡山(かがみやま)のふもとは、唐津湾(からつわん)(めん)する場所(ばしょ)として(さか)えます。

そこに当時(とうじ)豪族(ごうぞく)のお(はか)(つく)られたのです。これが古墳(こふん)()ぶもので、()口古墳(くちこふん)玉鬘古墳(たまかずらこふん)島田塚古墳(しまだづかこふん)などがあります。その()、ふもとの砂丘(さきゅう)(ひろ)がって、奈良時代(ならじだい)になると神社(じんじゃ)(つく)られるようになるのです。ですから、まさに古代(こだい)(もり)にふさわしい、遺跡(いせき)宝庫(ほうこ)といえます。

鏡地区(かがみちく)には、弥生時代(やよいじだい)遺跡(いせき)がたくさんあると()きましたが、どんな遺跡(いせき)がありますか。
鏡山(かがみやま)南側(みなみがわ)松浦川(まつうらがわ)支流(しりゅう)である、宇木川(うきがわ)半田川(はだがわ)流域(りゅういき)には、縄文時代(じょうもんじだい)()わり(ごろ)から、朝鮮半島(ちょうせんはんとう)からたくさんの人々(ひとびと)(わた)ってきて稲作(いなさく)(はじ)め、(おお)くの集落(しゅうらく)(つく)りました。
(かれ)らは、集落(しゅうらく)見下(みお)ろす小高(こだか)(おか)に、支石墓(しせきぼ)()ばれる(はか)(つく)りました。葉山尻支石墓(はやまじりしせきぼ)森田支石墓(もりたしせきぼ)瀬戸口支石墓(せとぐちしせきぼ)などがあります。時代(じだい)とともに、稲作(いなさく)の村は(おお)きくなり、やがて(あたら)しい金属器(きんぞくき)(つく)技術(ぎじゅつ)導入(どうにゅう)され、王様(おうさま)()ばれるような人々(ひとびと)登場(とうじょう)します。これが、宇木汲田遺跡(うきくんでんいせき)柏崎遺跡(かしわざきいせき)()ばれる甕棺(かめかん)青銅器(せいどうき)副葬(ふくそう)する人々(ひとびと)遺跡(いせき)です。このように、弥生時代(やよいじだい)集落(しゅうらく)中心地(ちゅうしんち)となり、(つぎ)古墳時代(こふんじだい)(むか)えます。